2022/10/07 15:27
みなさん、こんにちは。
株式会社リネンラボラトリーの多田和弘です。
前回のつづき、を書きたいと思います。
生地が織られている現場を目の当たりにし、衝撃を受け、将来は絶対産地で働きたい、そう思いましたが、すぐに行動できるほど自分には勇気はありませんでした。
『いつかは~したい』
そう思ってもできない理由ばかりが頭の中に浮かんでしまう、結局はなかなか動けないものです。
7年ほどは㈱ワールドで勤務しました。
30歳の時に、転職を決意します。
ちょうど節目の年だなと思ったこと、より生産者に近い立ち位置の会社で仕事をしてみたいという思いで、大阪本町の小原屋繊維㈱という生地屋に中途入社しました。
リネンを始めとする国内生産の天然素材の生地を、主にアパレルメーカーに販売されています。
自分が入社した当時は、まだリネンの取り扱いも今ほど多種多様ではなく、リネン素材が今ほどメジャーになる前の事です。
在籍時には生地の企画も営業も経験させていただいたので、日本の産地のあらゆる地域に仕入れの為に出張で行きましたし、あらゆる地域に営業に行きました。
浜松、西脇、一宮、岡山、新潟、、もちろん滋賀。
浅く広く、あらゆるたくさんの事を見てきた自負はありますので、何でも聞いてください(笑)。
今思うと、2010年から2020年あたりの10年くらいでリネンという素材がマニアックな素材から一気にメジャーなものになった転換期だったのではないかと思います。
小原屋繊維㈱で7年ほど色々な事を携わらせていただいた後、またまた転職を決意します。
なぜなら
『本当に日本で織られ染められたリネンは高品質なのか?』
その疑問が自分の中にはありました。
というのも良くも悪くも国内生産のリネンしか触ってこなかったからです。
その答え合わせをすべく、二回目の転職先は、同じく大阪本町にある㈱ケイファブリックという生地屋でした。ユザワヤや大塚屋など、全国の生地の小売店にリネンを卸販売している生地メーカーです。
前社とは違い、ヨーロッパや中国での生産背景を持っていたので、海外への仕入れにも積極的に行きました。
約10年間、リネンの企画や営業に関わり、2つの気付きがありました。
『日本には何十、何百という生地問屋さん、生地メーカーさんは存在するが、実際それらの生産を担っている国内の工場さんは実は数えるほどしかない、その工場さんに糸を供給している商社も数社しかない』 ということ。
つまりは仕事をお願いして生産する工場さんが各社とも、かぶっているんですね。
多少は問屋さんメーカーさんによって、化粧の仕方はちがうけど、途中までの流通経路は同じ。
そして
『日本のリネンは本当にすばらしい。』
リネンを滋賀県で織ること、染めること、加工すること。
僕はその素晴らしさに10年間、ずっと魅せられてきました。
そして今からの人生を懸けたいな、と思いました。
色々なタイミングが重なり、独立や帝国繊維㈱のお仕事などさせていただけるようになりました。
簡略して社会人になってからの約20年間の事を書いてみました。
なにか、ご質問やご意見、お気軽に連絡くださいね。