2022/10/04 21:09

みなさん、こんにちは。

株式会社リネンラボラトリーの多田和弘です。

 

顧客様より、

『御社の女性スタッフさん達の事は知っているけど多田さんって誰ですか?』

っていうストレートなご質問がありましたので、簡単にご説明したいと思います。


『誰が興味あるねん』っていう声を振り払って書きますので、興味が無い方は、ここで離脱していただき()、読んでみても良いわよって方は最後までお付き合いいただければ幸いです。


今、株式会社リネンラボラトリーの一応、代表をさせていただいております。

顧客様はよく知っていただいておりますが、女性スタッフ2名が主に出荷、お客様対応、並びにHPの管理や商品撮影を担っております。

 

自分は、というと商品の企画、生産管理、滋賀県産地の工場さんとの連携を中心に行っています。

また、帝国繊維㈱という日本に麻産業を導入した日本の麻の元締めの会社の社員も兼任しています。

糸や生機(染める前の段階の生地)を日本国内の生地問屋さんや機屋さんへ、また染め上がった生地を

アパレルメーカー様へ販売などを行っています。

 

今でこそ、リネンの生産に携わらせていただいていますが、社会人をスタートしたのは神戸のアパレル会社、㈱ワールドという会社でした。

配属先はINDIVIという婦人服のキャリアブランド。神戸と東京を行ったり来たり。


当時、社内では一番乗りに乗っていたブランドでした。

おおよそ20年前、百貨店の婦人服売り場が、今よりも活気に溢れ返っていた頃です。

思い返せば、先輩方はワールドで働いている事、INDIVIで働いていることにとても誇りを持って仕事をされていた、そんなふうに感じます。


素材調達にも関わっていた自分への先輩上司からの指令は、

『シワになる素材はNGだから。』

いわば、リネンとは程遠いブランドでした。


今でこそ時代の流れとともにリネンが受け入れられ始めているようではありますが、当時は皆無だったような気がします。


そんな中、プライベートでたまたま訪れた場所がリネンを織ったり、加工したりしている有名な繊維産地で緑豊かなのんびりとした風景が広がっていました。

そうです、滋賀県です。


当時の自分はリネンの事はほとんど知らない。


また、ワールドでは製品を海外から輸入してきたり、縫製が日本でも生地は海外のものが主だったので、自分には日本で生地が織られている、そういう概念が当時はこれっぽっちもありませんでした。


けたたましく鳴り響く生地を織る織機の音に、当時の自分は、後ろからハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けたことを、今でも鮮明に覚えています。




その時、僕は

『将来は絶対に産地で働きたい。』

そう強く思いました。


今日はこのあたりで。